竹沢、ハイデガーを語る

技術営業部の竹沢です。
最近愛読している本を紹介いたします。

ハイデガーの『存在と時間』を読んで、ますます泥濘にはまっています。もともと、デカルトの思想に共感をもっていましたが、それを打ち砕くハイデガーの思想にも興味があります。

デカルトの有名な「私は考える。故に私は存在する。」という格言があります。
ところが、この格言は循環論法という虚偽の論証の典型例です。

私が存在するのは私が考えるからであるというのですが、私が考えるためには私が存在することが前提になるので、論点先取の虚偽(※)です。
でも、そんなことを考える“私が存在している”ではないか、とも考えられます。

虚偽の論証であるにもかかわらず、“私の存在”はゆるぎないものだとデカルトは考えてます。
デカルトの「私は考える。故に私は存在する。」という格言にある“存在”を問題にしたのが『存在と時間』の趣旨です。

虚偽の論証であろうが、存在していると信じて疑わないような私の存在を“現存在”といいます。
“存在”とは「私は考える。故に私は存在する。」と言うときの“存在”です。
“私”は存在すると考える人でも、私の存在とは別に、様々なやりとりを通して互いに影響しあう外界があると考えます。このような外界が世界だといっています。
このことから私の存在は必ず世界の中で確認していることになります。世界がなければ私が存在していることを確認することができないからです。

簡単な例では、私は何者なのかという疑問に解答を得ようとすれば、私は世界へ向かって解答を求めることになります。
そして、多くの場合、あれでもない、これでもない、と考えるのです。 こんなふうに考えても、デカルトの「私は考える。故に私は存在する。」というのでは、私の存在を説明したことにはならないのです。それでも、私は存在すると思うのは、そんな思い込みが生じる原因があるからでしょうか。また、日頃は私の存在はあまりにも当たり前すぎて疑問にもならないので、そのような日常性にもそうなる原因があると考えられます。

『存在と時間』とはとても奥の深いものだと感じ、理解したようでできない自分自身に苛立ちを感じる今日この頃です。でも、やっぱり面白い!!考えることが好きなあなたに、お勧めな一冊です。

管理人注
「論点先取の虚偽」
論理学の一用語。証明すべき内容が、既に前提の一つとして使われている状態を指す。循環論法はその一種。

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by nkgfan | 2010-06-17 10:32 | □社員コラム | Comments(0)
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