竹沢、ふたたびハイデガーを語る

編集長のアンコールにお応えし、ハイデガーネタでもう1つ。
今回は『存在神秘』についてお話します。

私はふと自分の存在について考えることがあります。
人はこの世に存在し、いつかは朽果てる・・・そう考えると、何故自分が今この世に存在するのか、自分自身に問いかけ、考え、そして答えを出したくなるのです。

ところで皆さんは『在る』とはどういうことか考えたことはありますか??

近代科学は“在り”として“在る”モノを説明します。
そして、その“モノ”がどのようにして、ほかの“モノ”からひきおこされたのかについて、因果関係を解明するのです。
宇宙のなりたちについても、生命の誕生過程や起源についても、精密な観測データや、先端物質科学の実験成果などを駆使しながら、明らかにすることができるのです。

しかしそうした科学的調査や研究を重ねても、ハイデガーが唱える、
「なぜ存在者があるのか、そして、むしろ“無”があるのではないのか」※
という命題について、誰も答えることはできません。
※編集長注:「なぜ何かしらの“モノ”がそこに存在しているのか。そもそも完全な“無”が存在していたっておかしくないんじゃないんすか?」の意。ハイデガーはこれを「全ての問いにおける第一の問い」とした。

一例として、宇宙の始まり(ビックバン説)が挙げられます。ビッグバンが起きたことは事実ですが、「なぜ起きたのか」まで科学は説明できません。もっと正確に言えば、
「なぜビッグバンが存在したのか、そして、むしろビッグバンが“無い”ではないのは何故なのか」
という問題には答えられません。
更に噛砕くと、「なぜこの宇宙が存在しなければならなかったのか」という問いに、科学は永久に答えられないのです。

そもそも科学の存在目的とは、そのようなオントロギッシュ(存在論的)な問題※を答えることではないと私は思います。
なにかに先立つ「在るもの」(存在者)に頼らず、あくまで「在る」という事実そのことだけに徹し、存在それ自体で、その自律性と内在性の範疇で考えることしかできないのです。
それこそが、哲学が問題とする存在への問い、すなわち存在論なのです。
※編集長注:オントロジー=存在論(独語)。存在そのものの意味を問う思考であり、存在することを前提とする近代科学とは異なる視座をもつ。ハイデガーの他にもサルトルなどが有名。

この世はなぜ存在するのか。そんなこの世に私が存在しているのはなぜなのか。

存在の“起源”を想定し、さらに先立つ“何者か”(存在者)を定めて、その起源の「存在」は、何故・何の為という問いが、いつまでも連鎖的に続き、永遠に問いかけていくことになります。
つまり、なんのためになぜ万物が存在するのかわからないと、最終的に結論づけることになるのです。

“なぜ在るか。存在とはそもそもなんなのか”自分とは!?生とは!?死とは!?朝の満員電車に揺られながらそんなことをふと疑問に思いながら、読んだ一冊でした。

考えれば考えるほど、面白い世界ですね!!

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by nkgfan | 2010-07-16 13:40 | □社員コラム | Comments(0)
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