ゼロの歴史

こんにちは、2010年度入社、設計課の前野です。

今日はこんな本を紹介したいと思います。
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チャールズ・サイフェ著「異端の数ゼロ

皆さん、小学校で掛け算、割り算を習う際、大原則として「ゼロに何を掛けてもゼロ」、また「ゼロでは割れない」と教わったと思います。これって不思議に思いませんでした?それまで、メンドくさい計算も九九や筆算を駆使してなんとか解いてきたのに、式中に「0」を見た瞬間、答えはゼロ若しくは解無しと導けてしまう。こういう問題は計算が不要で楽には楽だったのですが、問題自体がイメージしづらく、「意味あんのかコレ?」と当時は不可解に思っていました。「ゼロ本のバナナを5人で割ると?」なんて馬鹿げているでしょう。実際は高校で微積分を習う際、「ほぼゼロ」で掛けたり割ったりする事が非常に重要な概念となるため意味はあるのですが(前例と厳密にはイコールではないですが)、日常生活で「ゼロ」を「無」以外の概念として意識することは殆ど無いのではと思えます。

「意味があるのか?」という問いは、古代人にも共通していて、数字が生まれた段階で「0」は存在していませんでした。何故なら日常生活に意味を成さず不要だったからと考えられています。(10や100などといった桁を示す役割としての0はあったそうですが。)「バナナはゼロ本あります」ではなく「バナナはありません」と言った方が自然でしょう。

そして時代が経つにつれて、人々はゼロという存在に気付き始めるのですが、古代ギリシャやローマではゼロとその双子の兄弟である無限と共に、虚空と混沌の象徴として恐れられてきました。結果としてゼロはアリストテレス哲学を転覆させ、神を否定するとんでもないタブーとして取り扱われたのです。そのため、西洋には長い間ゼロという概念はなく、その証拠に西暦を制定する際には元年を西暦1年とし、その前年は紀元前1年として扱われています。21世紀の始まりが2000年ではなく2001年だったのもその名残が現在まで波及しているためです。

そんなゼロですが、徐々に恐れの対象から研究対象に変わり、数学的なパラドクスも解かれ今に至ります。我々が当たり前に使っているゼロはこんな波乱に満ちた歴史を経て一つの数字として意味を持つようになったのですね。

本書は、高校数学以上の知識があれば読めるはずです。興味があれば、ちょっと頭の体操がてら読んでみることをオススメ致します。


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by nkgfan | 2010-09-27 17:53 | □社員コラム | Comments(0)
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